上野敏郎の
         上野敏郎の今週のコメント

第1378回普段着のとかちミーティング


開催日 令和3年8月4日(水)
【話 題】 子どもは遊びの大天才 [2]
− 相撲 −


〜相撲とは〜

新田一郎によると「相撲」は当初は争うことや抗うことを意味し、
特定の格闘競技を意味したものではなく、格闘や技芸を一般的に
意味する漢語でした。

特に日本相撲協会が主催するスポーツの興行としての大相撲が
有名ですが、神事に由来するため、他のプロスポーツと比べて礼儀作法
などが重視されており、生活様式や風貌なども旧来の風俗が比較的
維持されるなど文化的な側面もある。
=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=
〜遊び方〜

土俵入りから『塵手水、仕切り、立会い』の手順で進んでいき、
「はっけよい、のこった」の合図とともに勝負が始まります。

勝ちが決まるのは、相手の体のうち足の裏以外の部分を土俵の土に
触れさせた場合。投げて背中を着けても引っ張って掌を
着けてもよく、極端な場合は相手の髪の毛が着いてもその時点で
相手の負けが決まります。

または、相手を土俵の外に出した場合。
体の一部が土俵の外の地面に着いた時点で勝ちが決まります。
=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=
 〜歴史〜

公式に相撲が行われた記録としては皇極天皇元年(642)7月9日に来朝した
百済の使者をもてなすために相撲を取らせたことが記録されています。
また、聖武天皇の時代天平6年7月7日天皇が相撲を観覧したのが
「相撲節会(すまいのせちえ)」の起源とされています。

鎌倉時代には、武士のたしなみの一つとして奨励されました。
室町時代には、職業とする人々も現れました。
戦国時代の織田信長も大の相撲好きであったようです、

江戸時代には、職業的な力士集団が江戸、大阪、京都を中心に次第に
組織化されていきました。元禄から享保期(1688〜1736)頃に土俵
が造られるようになり、多彩な技が披露されるようになりました。
江戸時代後半には全盛期を迎えます。寛政3年(1791)将軍家斉による
上覧相撲を契機として、幕府公認の娯楽として位置付けられ、次第に木戸銭を
集めるための営業的な興行となった)が盛んになりました。

町内でも百間村でも寛政7年(1795)に勧進相撲が開かれたことが古文書に
記されています。 村人たちの数少ない娯楽の一つであったと思われます。

明治以降、さらに近代化され日本の伝統文化として外国に紹介されるようになりました。
昭和3年から相撲のラジオ放送が始まり、戦後昭和25年に蔵前に
国技館が設けられ、さらに昭和29年新国技館も完成し、ようやく戦後の
混乱期を乗り切り安定した興行が行われるようになった。


昔遊びの中でも長い長い歴史がある【相撲】。
今では当たり前にテレビで放送されていますが、奥深い競技であることが
見受けられます。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


〜相撲〜





(画:鎌田博文氏)



(画:菅野孝雄氏)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  上野敏郎へのメールの宛先はt-ueno@octv.ne.jpです。