上野敏郎の | |
上野敏郎の今週のコメント |
第1387回普段着のとかちミーティング |
〜三角のりとは〜
自転車全体の年間生産台数は伸びているにも関わらず、昭和34年頃
までは子ども車の生産台数の占める割合は12%前後で変化がありませんでした。
また大手製造会社製の大人向けで14,000円〜28,000円という価格は
公務員の初任給の1〜2ヶ月分に相当したため、一般家庭では子ども用
自転車を気軽に買い与えることは難しかったそうです。
そこでサドルに腰掛けて運転することが出来なかった大人用自転車を
子どもたちが乗るために考えたのが三角乗りでした。
当時はフレームの大半が三角形をしていたので、この三角形の中に
右足を入れて、ペダルを半回転させながらなんとか前に進む漕ぎ方を
していた為、不安定で転ぶことも多かったそうですよ。
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〜遊び方〜
三角乗りは、右足を三角空間に通して右側のペダルへ乗せ、
自転車を右に傾けながら左足で蹴って進み、少しスピードが出たら
左ペダルへ乗せる。そして、右に傾けすぎた車体を少し左へ
戻したりして走行する。
実際に漕ぐためには相当なバランス感覚が必要ですね。
地方育ちの少年たちのいわば「通過儀礼」の1つが、
自転車三角乗りだったのかもしれない…なんて言われていることを
ご存じでしょうか。
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〜豆知識〜
〜日本で初めて自転車に乗った人物とは〜
日本で初めて、松平春嶽が自転車に乗ったという諸説が存在します。
春嶽に近侍した家臣の記録に、1862年(文久2年)に
松平春嶽が「ビラスビイデ独行車」に乗った、と記されており、
これが日本で“最古”の自転車の記録と考えられています。
自転車を組み立てたのは、福井藩士の佐々木権六(長淳)。
自転車以外にも、洋式の鉄砲や火薬、帆船などの建造に携わり、福井藩の
モノづくりに活躍した人物です。
当時の春嶽は、井伊直弼との政争に敗れ、“安政の大獄”により謹慎中の身。
自転車に乗ることで、傷ついた心を癒していたのかもしれませんね。