上野敏郎の
         上野敏郎の今週のコメント

第1404回普段着のとかちミーティング


開催日 令和4年1月14日(金)
話 題 私の「依田勉三研究」[その8]
     −昔の十勝日日新聞から−
 
勉三と報徳の教え  
 三原は、「回想の依田勉三」Aを次のように閉じる。
 「彼らの人生哲学の根底には二宮尊徳のそれであり、土を愛する余りか、あの広大なる十勝の原野を祖先伝来の〇鍬でおこそうという暴挙を企てさえしたのである。」と。(※〇内の文字は印刷がうすく読み取れませんでした。)
 ここに出てくる「二宮尊徳」とは、幼少期を二宮金次郎と言いあの薪を背負いながら本を読む銅像の二宮尊徳である。
 尊徳の教えは、一般的には12項目から成る「報徳訓」にあるとされている。そこから開拓に関係する箇所を抜き書きすれば、「子孫の富貴は自己の勤労にあり」「衣食住の三は田畑山林にあり」「田畑山林は人民の勤耕にあり」「今年の衣食は昨年の産業にあり」「来年の衣食は今年の艱難にあり」「年々歳々報徳を忘るべからず」となろうか。 そして「報徳」とは、自分のために残すもの、他人のために残すものを差し出された者は、それに感謝して受けた徳に報いる心をいうとされている。
尊親と心通わせる勉三

  その尊徳の孫にあたる「二宮尊親」が、明治29年に「興復社」を結成し十勝の豊頃村牛首別に入植してきたのである。勉三はしばしば尊親を訪ねている。やがて二人は、肝胆相照らす仲となり夜の更けるまで語り合うことになっていくのであった。  
 尊親はこう説く。「農家としては土地によってその増収を図るのが一番肝要である。その方法は地積の拡張である。但し、いたずらに拡張するのではなく、開墾地の隅に棄てておく地を有益に活用することも肝要である。」等々、勉三は尊親の話に何度となく自省の念に駆られるのであった。
 そして勉三は、『農民の資本の主なものは労力であり、労力の源は健康である。それを智識で補って「巧に働く」ことに努めなければならない。また健康を得るには鍛錬が必要であり、智識を得るには教育の力が必要である。』と、する資料を作成し晩成社の社員に配布している。(「二宮尊親先生講話の大意」より)

(文責:上野敏郎)



−昔の十勝日日新聞から−


<嶺野侑著「十勝を招いた人々」より」>
二宮尊親の似顔絵
(絵:菅野孝雄氏)

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