上野敏郎の
         上野敏郎の今週のコメント

第1425回普段着のとかちミーティング


開催日 令和4年4月12日(火)
話 題 私の「依田勉三研究」[その29]
     −開拓140年に思う−
 
誕生日の無いまち:帯広  
 令和4年、2022年の帯広市は「開拓140年」を高らかに謳うが、誕生日がありません。これでいいのだろうか。私の心境を議会の質疑応答風に再現してみたい。
質問:「開拓140年」はいつから数えてですか。
答弁:依田勉三率いる移民団「晩成社」が入地した明治16年です。
質問:明治16年のいつですか。
答弁:何月何日という定め方はしていません。
質問:十勝管内の町村は、開基何年、開町何年ときちんとその始まり、
   つまり誕生日を明らかにしています。帯広市は、なぜ誕生日を
   持たないのですか。
答弁:この件については、協議の記録がありませんのでこれ以上の答弁
   は控えさせていただきます。

 この質疑応答は、私の勝手な想像です。
 確かに帯広の始まりは明治16(1883)年です。よって、令和4(2022)年は139年が過ぎ140年に向かう年です。では、いつから140年に向かうのですか。『帯広市140周年』の基準日はいつになるのでしょうか。お祝い事に何月何日とする「誕生日」がないことに違和感を覚えます。
まちには誕生日がある
 例えば、士幌町は明治31(1898)年に岐阜県からの移住団により開拓の鍬がおろされました。しかし、士幌町はここを始まりとはしていません。その後大正10(1921)年4月1日に当時の音更村から分村し士幌町の前身「川上村」が生まれ、大正15年6月1日に「士幌村」と改名、昭和37年に「士幌町」となります。士幌町の誕生日は、川上村が誕生した大正10年4月1日です。そして士幌町は、令和3(2021)年、「開町100周年」を迎えたのでした。  
 もう一つ、市町村の始まりを表す言葉に「開基」があります。音更町は、明治34(1901)年10月15日に「下帯広外二村戸長役場から分離、音更外二村(然別、東士狩)に戸長役場を開設」しています。音更町はこの年を「開基年」と定め町史に明記しています。音更町の誕生日は10月15日です。
帯広の戸長役場は    
 帯広に戸長役場ができたのは、明治26(1893)年6月17日ですが、悲しくなるほど話題に上ってきません。また、帯広市は平成4(1992)年に「開基110年」のお祝いをしていますが、この時の「開基」は、明治16年を始まりとします。
 その帯広市は、平成14(2002)年に「開基」を「開拓」に変えます。そして『開拓120年』を祝うのです。その変更に異論を挟むつもりはありません。しかし、開基であれ、開拓であれ、その始まりは明治16(1883)年の晩成社のオベリべリ入地にある訳です。ならば、その年の何月何日を誕生日を定めてはどうですかと言いたいのです。「誕生日」の大切さを無視し、「誕生年」だけで通す意義はどこにあるのですかと問いたい訳です。
「5月9日」か「5月20日」  
 一つの提案です。依田勉三がオべリべリに入地したのは『明治16年5月9日』です。13戸、27人の開拓団が全員オベリべリに揃ったのは、「明治16年5月20日」です。いずれかを帯広の誕生日にすることでいかがでしょか。    

(文責:上野敏郎)



−昔の十勝日日新聞から−



十勝開拓団「晩成社」の人々
オベリベリ到着順