開催日 令和4年5月9日(月)
話 題 私の「依田勉三研究」[その32]
−1883年の5月−A |
139年前の5月9日
1833(明治16)年5月9日午後3時、晩成社の率いる依田勉三と妻リクは、函館から陸路の道を歩いた高橋利八と妻キヨ、池野登一と妻アキ、山田ノヨ、そして横浜で合流した吉沢竹二郎の6人と共にオベリベリに着いた。
勉三は、すぐ銃太郎と勝の姿を探すが、その日朝早く銃太郎はアイヌ4人と一緒に味噌、醤油などを運ぶために大津へ出かけていた。
※5月9日 晴。トツタベツを出でポンピラを過ぎ、ショモブトにて土人の家に休む。ウレガレップを渉(わた)り都合五六里の道を歩みて、午後三時一同恙(つつがな)く帯広村に着せり。さて、海行の者四、五人は一両日前に来りたる由にて、山行の者を歓び迎へたり。銃太郎は十勝川運漕の為に今朝大津に下れりと。(勉三の記録から)
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(前回の続き) 勉三さん
郷土の大地は、どこまでも畑がひろがり、
黒々とした土が顔を見せている。
その黒い土にしみこんでいるあなたの
血を、汗を、ぼくたちは知っている。
そして、それを知るからぼくたちも
この帯広を、もっとよい街にしなければと考える。
あなたの意志をうけつがなければと心をひきしめる。
きょうも太陽はのぼり、そして去り、
人々は一日はたらき、
帯広は活動した。
そして、人々は知る。
勉三さんの身をすて、開拓にいのちをかけた
血の色を、汗のにおいを。
帯広をつくろうとした精神のむかうところを。
勉三さん、
今、帯広は、あなたの意志をつぎ
緑と虹と人々の笑いのたえない街
帯広にむかって、歩きつづけます。
そのことをあなたに伝えます。
注:紹介した詩「勉三さん」は、中学2年生の羽賀徳昌君の作品として「帯広のあゆみ」に掲載されている。羽賀君がこの詩を作ったのは小学校の4年か5年頃だそうだ。となると、出だしの「勉三さん、九十年の春、〜」の文章は開基90年にふさわしく書き換えたものと理解すべきであろう。
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−昔の十勝日日新聞から−
5/12〜5/17 藤丸 勝毎サロンにて展示予定の イベント告知となっております。
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