上野敏郎の
         上野敏郎の今週のコメント

第1430回普段着のとかちミーティング


開催日 令和4年5月14日(水)
話 題 私の「依田勉三研究」[その34]
     −1883年の5月−C

5月14日、オベリベリ最初の挨拶  
 晩成社の幹部渡辺勝が山田彦太郎以下5人とともにオベリベリに入ったのは明治16年5月14日であった。この日、ようやく勉三、銃太郎、勝の幹部三人が手を握り合えたのだ。この時、体調を崩しオベリベリ入りが遅れている藤江助蔵、フデ夫婦は到着していないが、松崎からの24人、横浜から加わった吉沢竹次郎、オベリベリで越冬してこの日を待った鈴木銃太郎を入れて26人がそろったのである。
 その夕刻、ささやかな酒宴が開かれた。勉三はこう話す。「皆さん方晩成社の社員は私にとって開拓の同志です。同志の皆さん、お互いに奮闘努力し、国のためにあらゆる艱難辛苦を乗り越え、何としてもこの事業を成功させ、十勝野を世に出そうではありませんか。」と。
 銃太郎は、勉三の挨拶にある「開拓の同志」と「国の為」の言葉に感動するのであった。