上野敏郎の
         上野敏郎の今週のコメント

第1436回普段着のとかちミーティング


開催日 令和5年1月10日(火)
話 題 「帯広地方の子守唄」を考察する [1]
     −「赤い山青い山白い山」の謎−

子守唄の背景にあるもの  
 昭和49(1974)年10月から11月まで、NHKテレビ「みんなのうた」は、小柳ルミ子が歌う子守唄「赤い山青い山白い山」を放映していた。この時、この子守唄は北海道地方のわらべ唄と紹介されている。そしてこの唄は、北海道で唯一の伝承子守唄と位置付けられるようになる。更には、その伝承地は「帯広地方」と特定され世に出るのである。ここまでは、十勝に暮らす者にとって心ワクワクする話だ。
 しかし、この子守唄に出てくる山々が、十勝の日高山脈を指すとする説に接したとき、それはあまりに強引すぎる解釈ではないかと申し上げたいのである。その理由は、この子守唄「赤い山青い山白い山」には隠れた物語があり、純粋に帯広生まれ、帯広育ちの唄とは言えないと思うからだ。
 ここに取り上げた説によれば、「赤い山」は紅葉の秋であり、「青い山」は緑が眩しい春と夏、そして「白い山」は雪をかぶった冬の日高山脈だとする。これも一理ある見方とも思うのだが、明治40年に発行された「日本民謡全集」(本郷書院)に載る「ねんねの寝た間に」で始まる子守唄を見るとき、果たしてそういいきれるだろうかと疑問が頭の中をよぎるのである。この「ねんねの寝た間に」の子守唄は、間違いなく後に曲名を「赤い山青い山白い山」に変え帯広地方に伝わる子守唄と呼ばれることになるのだが。
 例えば、いま帯広地方で歌われている子守唄「赤い山青い山白い山」のメロディは、音楽の知識を持たない者が言うことではないが、詩も曲もとにかく“美しい”のである。しかし、母親がわが子に歌って聞かせた子守唄は、もっとぼくとつとしたものでは無かったかと思うのだ。
 そう思うとき、帯広地方に伝わる子守唄「赤い山」青い山白い山」には、別のメロディ、もしくは、明らかになっていない物語があるのではないかと考えてしまう。そして、この謎解きは、真にこの子守唄を大切にすることにつながると思うのである。
文責:上野 敏郎


 


−帯広地方の子守唄−



子守唄資料
-日本民謡全集より-