上野敏郎の | |
上野敏郎の今週のコメント |
第1437回普段着のとかちミーティング |
開催日 令和5年1月11日(水) 話 題 「帯広地方の子守唄」を考察する [2] −「赤い山青い山白い山」の謎− |
「ねんね」と「とちもち」 きれいな西洋音楽に整った帯広地方に伝わる子守唄「赤い山青い山白い山」の前に、五線譜の記録を持たない子守唄があったはずだとする最大の根拠は、この子守唄に出てくる「ねんね」と「橡餅(とちもち)」である。 私は山形県庄内地方の生まれである。高校を卒業するまでそこで暮らしてきた。庄内地方では各家庭で餅つきをしていたが、当たり前のように「橡餅(とちもち)」をつくって食べていた。 橡餅とは、橡の木の実を砕いて混ぜて搗く餅の事をいう。この橡の木は十勝にも生息する。現に、帯広市役所の庁舎前にも一本そびえているが、十勝産の「とちもち」を食べたことはない。 私は、帯広に住んで50数年を数えるが、十勝でその実をつかった「とちもち」を見たことも、食べたこともないのである。周りに聞いても同じであった。試しに、市内にある二軒の「もち屋」さんにも「とちもちはありますか」「とちもちを知っていますか」と聞いてみたが、二軒とも首を縦に振ってくれなかったのである。 二つ目の根拠にあげた「ねんね」とは、通常「赤ちゃん」の事を言う。しかし、「ねんね」が、十勝の中で共通語として使われていたとする説明記録を見つけることが出来なかった。 この二つの根拠を持って私は、帯広地方に伝わる子守唄「赤い山青い山白い山」の前に、お国訛りもそのままに、この十勝で「ねんねの寝た間に」から始まる子守唄を歌った人々がいたのだと思うようになったのである。 その人々はだれか、その答えは一つしかない。帯広のまちは、先住民族アイヌの歴史の上にいわゆる和人による開拓が入り現在がある。 「ねんねの寝た間に」の子守唄はこの開拓の歴史と重なるとにらんだのである。「ねんね」も「とちもち」も開拓団が持ち込んだのだと… |
文責:上野 敏郎 |