上野敏郎の | |
上野敏郎の今週のコメント |
第1438回普段着のとかちミーティング |
開催日 令和5年1月13日(金) 話 題 「帯広地方の子守唄」を考察する [3] −「赤い山青い山白い山」の謎− |
「赤い山青い山白い山」の本籍地 その1 それでは、「ねんねの寝た間に」の子守唄を開拓者の誰がこの十勝野で歌い始めたのだろうか。帯広の開拓史は明治16年の晩成社から始まることは周知の事実である。この晩成社の人々がこの子守唄を歌ったのであろうか。 先ず、ここから調査を始めることになる。昭和44(1969)年発行浅野健二著「わらべ唄風土記」(岩波新書)に静岡県の「この子の可愛さ」をはじめいくつかの子守唄が紹介されている。晩成社は静岡県の伊豆半島にある松崎で結成された開拓団である。ひょっとしたら、「赤い山青い山白い山」に類似した子守唄があるかも知れないと探したが、その手掛かりになるような子守唄は見つからなかった。そして、晩成社に関するいくつかの資料でも、「子守唄」の文字を見たことはない。よって、「赤い山青い山白い山」の子守唄と晩成社とは関りが薄いと判断すべきと結論づけた。 この調査のキーワードは、赤ちゃんを「ねんね」と呼ぶかどうか、その土地に「橡餅(とちもち)」を食べる習慣があるかどうかである。 明治30年前後に、石川県や福井県から開拓団が現在の大正地域に入植している。ここから、北陸地方の子守唄を調べてみると、「ねんねの寝た間に」から歌い始まる子守唄の多いことに驚くのである。 昭和52年に発行された石崎直義著「北陸のわらべうた」(第一法規)には、曲名はないが、帯広地方の子守唄「赤い山青い山白い山」と実にそっくりな子守唄が紹介されている。 ねんねの寝た間に 何しょいの 小豆餅や 栃餅や ごんぼ(ごぼう)の葉に包んで 赤い山へ持ってけば 赤いぞうりが続く 青い山へ持ってけば 青いぞうりが続く 白い山へもってけば 白いぞうりが続く (後略) =福井= この子守唄には、「赤い山青い山白い山」の謎解きに大きなヒントがありそうだ。 |
文責:上野 敏郎 |