上野敏郎の | |
上野敏郎の今週のコメント |
第1443回普段着のとかちミーティング |
開催日 令和5年1月24日(火) 話 題 「帯広地方の子守唄」を考察する [8] −「赤い山青い山白い山」の謎− |
「赤い山青い山白い山」の本籍地 その6 ここで、帯広地方に伝わる子守唄「赤い山青い山白い山」について考えてみたい。帯広地方の子守唄も古い歴史を数えるが、特にこの子守唄に関心が高まったのは昭和37年以降である。 そこで先ず、そのきっかけになった昭和37年発売の本を紹介しておく。岩波書店発行の町田嘉章、浅野健二編「わらべうた―日本の伝承歌」(岩波文庫)がそれである。この著書では、曲名を「赤い山青い山(眠らせ唄)」〔北海道〕とする。 ◆ねんねの寝た間に 何せよいの (1)小豆餅の (2)橡餅や 赤い山へ持って行けば 赤い鳥がつっつく 青い山へ持って行けば 青い鳥がつっつく 白い山へ持って行けば 白い鳥がつっつくょ とあり、そして、次のような解説をする。赤い山青い山 帯広附近の子守唄として唯一のもの。絵のようで、夢の中の極楽島のような美しさを持つ。北原白秋作の新童謡「赤い鳥小鳥」の原歌 (1)赤小豆の餡をつけた餅。アンコロモチとも。「正月廿日、小豆餅。昆布・栗・かちん(※)にて御祝あり」(嘉永年中行事)。 (2)橡の実を搗き混ぜた黒赤色の餅。博多地方ではハイノの葉の灰汁で染めた米を搗いて製した黄色の餅をいう。 ※(1)にある「かちん」を調べてみた。「かちん」とは、「かちいい(搗ち飯)」が変化したもので、「餅(もち)」のことを言う女房詞(にょうぼうことば)だという。「女房詞」とは、室町時代の初期ごろから宮中に仕える女房が、多く衣食に関して用いた一種の隠語のことをいう。 この本に、帯広の音楽関係者が気づかなかったら、今日の「赤い山青い山白い山」無かったのである。 |
文責:上野 敏郎 |