上野敏郎の | |
上野敏郎の今週のコメント |
第1444回普段着のとかちミーティング |
開催日 令和5年1月25日(水) 話 題 「帯広地方の子守唄」を考察する [9] −「赤い山青い山白い山」の謎− |
「赤い山青い山白い山」の本籍地 その7 さて、この昭和37年に岩波文庫に載った「赤い山」青い山(眠らせ唄)」の楽譜を、帯広市民合唱団の指揮者田代広和氏が混声3部合唱曲に編曲し、翌昭和38年に市民に披露している。そして、同38年に音楽手帳社から発行された「日本の民謡・わらべ唄〈第1集〉北海道-東北編」にも掲載された。 昭和39年には、音楽の専門用語で言えばもともと「陽旋法」の旋律であった原曲を、国立音楽大学の小山章三先生が「陰旋法」の旋律に編曲し、国立音大や玉川大学のテキストとして使用されていくのであった。そして、この「陰旋法」の旋律で「赤い山青い山(眠らせ唄)」が広まっていくことになる。 昭和42年には、杉田いづみさんが編曲した「赤い山青い山(眠らせ唄)」が音楽之友社から発行された教科書「高校生の音楽A」に採用されている。 昭和44年には、浅野健二著「わらべ唄風土記」は塙新書からが発売されている。 この新書に載る「ねんねの寝た間に 何せよいの〜」の曲名は、「赤い山青い山」である。 そして昭和49(1974)年、NHK「みんなのうた」で小柳ルミ子が子守唄「赤い山青い山白い山」を歌うのであるが、この「みんなのうた」がきっかけになり、「赤い山青い山白い山」の子守唄は全国に「帯広地方の子守唄」として広まることになるのであった。 1. ねんねの寝た間に 何せよいの 小豆餅の 橡餅や 赤い山へ持って行けば 赤い鳥がつっつく 青い山へ持って行けば 青い鳥がつっつく 白い山へ持って行けば 白い鳥がつっつくよ 「瀬戸の花嫁」を歌った小柳ルミ子の歌声で、帯広地方の子守唄「赤い山青い山白い山」が世に出た瞬間と言っても過言ではない。 |
文責:上野 敏郎 |