上野敏郎の
         上野敏郎の今週のコメント

第1445回普段着のとかちミーティング


開催日 令和5年1月26日(木)
話 題 「帯広地方の子守唄」を考察する [10]
     −「赤い山青い山白い山」の謎−

「赤い山青い山白い山」の本籍地 その8  
 ところで、帯広地方の子守唄「赤い山青い山白い山」は、テレビや本、そして教育現場を通じて広まるのであるが、それに連れて「歌の定型」も整え始めるのであった。それまでは、いわゆる「一番」の歌詞しかなかったものが、NHK「みんなのうた」を機会に「2番」の歌詞がつくられたのである。作詞は、忠海光朔氏。
 忠海氏は、昭和21(1946)年札幌生まれ。旧札幌経済高校(現立命館大学慶祥高校)で音楽、詩作に目覚めるも、16歳の時事故で左目。札幌狸小路五丁目で「生ラム居酒屋 仔羊亭」を営みながら詩作の道を歩んだ人。平成16(2004)年9月27日自死。57歳。

2.
ねんねの寝た間に 何せよいの
小柏 切り株 切り根っこ
赤い馬が引いてみれば
赤い土がほれた
青い馬が引いてみれば
青い草がちぎれた
白い馬が引いてみれば
白い根っこが抜けたよ    

 このように、「赤い山青い山白い山」は帯広地方の子守唄としての地盤を作っていくのであるが、その広がりの現状は、言葉を選ばずに言えば一定の関係者に限定されるものであり、広く一般市民の域に届いているとは言えないと感じている。
 しかし、この子守唄を帯広地方の子守唄として語り継ぐ価値は高いと信じる。それは、この唄の背景には帯広の歴史を語る物語があり、よってこの子守唄自体に帯広を伝える「語り部」の力が潜んでいるからである。そのためにも、この歌が持つ背景、事実を知ることが重要だと思うのである。
文責:上野 敏郎


 


−帯広地方の子守唄−



北海道新聞:夕刊(平成16年11月27日)