上野敏郎の
         上野敏郎の今週のコメント

第1427回普段着のとかちミーティング


開催日 令和4年4月25日(月)
話 題 とかちのお風呂屋さん[その1]
     −吉田巌日記から−

 十勝の教育者でありアイヌ研究家でもあった吉田巌先生は、銭湯愛好者であった。大正13年8月10日の先生の日記には次のような一文がある。  
 「帯広市街も相当に湯屋が多い。山形湯、伊香保湯、帯広湯、鶴亀湯、若松湯、南海湯、天徳湯、白山湯曰く和倉湯以上九湯。天徳と和倉とを除いての七つは、悉くはいって知っているが、残り二つはのぞいたことはない。日中なら湯は混まぬであろうと、はじめて和倉温泉を訪ねた。
 ひっそり閑と案の通り九つの中でも新しい方で、まず明るい。それに他のどれにも見られぬすてきなところがある。というのは、脱衣場の天井が鏡のような硝子張りで、悉く脱衣場が映っている。花恥らう素裸な妙齢の美女が、湯文字を脱いで小股にせわしく浴室への戸を開閉するのが、活動写真のように、そっくりうつる。豊麗美麗な太股のあたりまでありありとうつる。  
 この捨てがたき天井の光景を否、パノラマに見とれるだけでも、得難い獲物と出入の者の好奇心をそそるが、決して少なからぬことであろう。どこやらのローマ、かの浴室の仕掛けも、かくやあらど思い浮かべた。(※この部分、そのまま書き写したが意味がよく分かりません。)  
 どうもハイカラなのだ。硝子戸を排して湯屋に入ると、中央の円形の湯槽があって、一隅角の湯槽の中に薬湯がなみなみとあった。鏡が四ケ所にある。コンクリートぬりごめだ。全部がこう出来ているのは、なかなか気が利いていると申さねばならぬ。  
 おしまいに脱衣場は一つごねんが入って、戸がついていることだ。見張りの主人公は中々ぞんざいなく挨拶もていねいに、新聞まで見てくださいと差し出す。これでは、さぞ夜間はよく賑わうだろうというと、さようです、日中はどうしても入っても、すぐ汗になるから、自然夜分入りにおいでなさるでしょうと言った。」  
 以上、吉田巌日記から風呂屋に関するある日の風景を抜き出して紹介した。 この日記の中で吉田先生は、市内の銭湯は九つと記すが、実はこの当時帯広町には十軒のお風呂屋さんがあった。抜けているのは「養老湯」である。ただ、先生が山形湯とする風呂屋さんは、山形屋旅館のお風呂を行っているのだと推測するが、当時の職業別資料に、山形屋旅館の湯は「銭湯の部」には入れていない。ようである。  



−吉田巌日記から−



在りし日の「吉田巌」先生