上野敏郎の
         上野敏郎の今週のコメント

第1455回普段着のとかちミーティング


開催日 令和5年11月13日(月)
話 題 十勝野に人あり 人に歴史あり
     −そのふる里は−[8]
 特別寄稿
【 十勝の夜明けと徳島県】―その足跡をたどる―[4]

坂東農場管理人東條儀三郎
本別町の礎築く

                  とかち史談会 顧問 嶺野 侑

 明治30年、徳島県那珂郡選出の衆院議員坂東勘五郎は、十勝の本別原野押帯(おしょっぷ)、勇足(ゆうたり)、幌蓋(ぽろけなし)にまたがる未開拓地1,000町歩の貸付を受け坂東農場を開設した。貸付け申請には、坂東に協力して小笠原鶴太郎徳島県会議長、大阪選出衆院議員秋岡義一、三重県選出衆院議員木村誓太郎の3人が名を連ねていた。政界の大物の貸付け申請は、許可も早かったのではないかと見られる。
 農場管理人は徳島県人東條儀三郎が選ばれた。東條は徳島から小作人61戸を伴い入植。開拓に汗を流した。徳島の小作人は125戸に増え、東條は寝食をともにし困難な開拓に成功。この地域の初代総代人に選出された。坂東農場は後に利別(農場、さらに勇足農場に改称、東條は本別の礎(いしずえ)を築いた開拓成功者として歴史に残る。
 


 


東條 義三郎 氏