上野敏郎の
         上野敏郎の今週のコメント

第1459回普段着のとかちミーティング


開催日 令和5年11月17日(金)
話 題 
十勝野に人あり 人に歴史あり
     −そのふる里は−[12]
 特別寄稿
【 十勝の夜明けと岐阜県】―その足跡をたどる―[4]

初代音更村長
中田宮太郎は武儀団体長

                  とかち史談会 顧問 嶺野 侑

 岐阜県武儀郡中有和村(現関市)の中田宮五郎は、1897(明治30)年、音更川の東岸、中士幌原野94万7,600坪の払い下げを受け、武儀団体を結成し第一陣の開拓者23戸が入ったのは、翌年である。当初の予算より多額の旅費などを要したため、開拓人は日雇いとなって働き、苦労はあったが、開墾を始めてから、農家経営は順調に進んだ。  
 団体長に就任した宮太郎は指導力を発揮、音更村会議員を務め、1921(大正10)年から2年間、一級町村音更村の初代村長として開村したばかりの村の基礎を固め、再び地域に戻り農業経営に汗を流した。
 


 


中田 宮五郎 氏