上野敏郎の
         上野敏郎の今週のコメント

第1461回普段着のとかちミーティング


開催日 令和5年11月21日(火)
話 題 
十勝野に人あり 人に歴史あり
     −そのふる里は−[14]
 特別寄稿
【 十勝の夜明けと岐阜県】―その足跡をたどる―[6]

十勝木材界の先覚者
高橋仙松

                  とかち史談会 顧問 嶺野 侑

 高橋仙松は、1897(明治30)年、同郷の木野村甚太郎を頼って渡道、農場の事務員や水田造り、雑貨業などを体験、下帯広の札内川河畔に工場を建て、川の水を導入、16馬力の水車2台を据え、製材のほか製粉も営んだ。  
 1913(大正2)年、帯広駅東の木工場を買収して移住、第一次世界大戦の波に乗り業績を拡大したが、工場の機関室から出火、原木まですべて焼失する悲運に見舞われた。仙松はこれに屈せず、司法省(現法務省)から現在地の東1南14の用地払い下げを受けて工場を再建、建築業にも手を広げ、積極的に土地を買った。同郷の岐阜県人星屋与八が協力した。  
 昭和に入ると満州(現中国東北部)に十勝村の建設を計画、朝鮮の羅新にも大きな農場を開設したが、日中戦争が勃発したため、大陸雄飛の夢は消え、67歳の生涯を閉じた。不動産事業、木材、木材加工はそれぞれ子孫が受け継ぎ、企業を守る。
 


 


 高橋 仙松 氏