上野敏郎の
         上野敏郎の今週のコメント

第1466回普段着のとかちミーティング


開催日 令和6年1月9日(火)
話 題 十勝野に人あり 人に歴史あり
     −そのふる里は−[19]
 特別寄稿
【富山県と十勝】―その縁(えにし)―[4]

矢部団体の結束 
米づくりに成功

                  とかち史談会 顧問 嶺野 侑

 富山県砺波郡山王村大字矢部村出身の矢部団体は、田守太吉を中心に25戸が1897(明治30)年、然別流域の音更原野西6〜8線2〜3号に集団入植した。田守は渡道に先立ち、宮崎濁卑や田守宗四郎と連絡を取り合い、準備をして貸付地を決め、抽選で希望する土地に入植することができた。
 開拓は順調で自給自足の農作物を栽培、冬は森林の伐採で働き収入を得、開拓成功検査に合格した。助け合い、団結する気風が強かったので土工組合を設立、悲願の米の収穫に成功、信用販売組合との結成も早かった。初代組合長は茂古沼佐七。太吉は宗教心に厚く砺波団体と協力し、郷里富山の伝統文化を今も伝えている。
 


 



 

宮崎 濁卑

田守 太吉 氏
   

茂古沼 佐七 氏