上野敏郎の | |
上野敏郎の今週のコメント |
第1259回普段着のとかちミーティング |
開催日 令和2年7月1日(水) 話 題 とかち・消えた学び舎の風景[123] −幕別町立幕別小学校(旧)− (1905〜1978) |
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≪あゆみ≫ ■明治28年 地域の有志者が私立教育所として開設。教師は僧侶青木霊峰氏。 ■明治30年 6月、私立猿別尋常小学校を開設。 ■明治31年 6月28日、公立猿別尋常小学校を開校。 ■明治38年 10月19日、咾別(いかんべつ)尋常小学校と合併。猿別尋常高等小学校と改称。同日付けで幕別尋常高等小学校と改名。 ■昭和16年 4月1日、幕別国民学校と改称。 ■昭和22年 4月1日、幕別町立幕別小学校と改称。 ■昭和28年 校章制定。 ■昭和30年 10月19日、校歌、校旗制定。(開校50周年記念式典挙行) ■昭和53年 3月31日、閉校。4月1日、新幕別小学校へ統合。 同じ名前の「幕別小学校」は現存するが、ここでいう「幕別小学校」は昭和53年度以前の「幕別小学校」をいう。当時の資料を参考に通学区域を示せば、「北は十勝川を境とし、西は東21号を南進、4線にて西線、東20号を更に南進、6線にて旧途別川を遡上、東18号延長を南に700m、そこより西へ500m、この地点を金刀比羅山119mの等高線と、この山を横切る道路との合点へ結び、この道路を東へ豊岡字界に至る。この合点より南11線を東へ猿別川に至り、同川を遡上、零号に至るまでとし、南は南勢及び大豊字界を境とし、東は新川字界を境とする地域」となる。これでは校区のイメージは浮かんでこないが、これだけの説明文を書く役場職員の苦労だけは良く分かる。とにもかくにも、旧幕別小学校は、明治38年に猿別、咾別両尋常小学校を統合し幕別尋常小学校として開校し、その後昭和45年には南勢、49年には豊岡各小学校を統合、そして昭和53年大豊、新川、西猿別と幕別各小学校が統合し現在の幕別小学校をつくるのである。学校の変遷から地域発展の足跡を読み取れるのである。校章の制定日は不明。 |
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(文責:上野敏郎) |
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幕別町立幕別小学校(旧) 校舎 (画:菅野孝雄氏) |
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幕別町立幕別小学校(旧) (文&絵:鎌田博文氏) |
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