上野敏郎の
         上野敏郎の今週のコメント

第1261回普段着のとかちミーティング


開催日 令和2年7月6日(月)
話 題 とかち・消えた学び舎の風景[125]
     −幕別町立西猿別小学校−
      (1913〜1978)

 ≪あゆみ≫
■大正02年 6月1日、幕別尋常高等小学校猿別特別教授場として開校。
■大正04年 7月5日、幕別尋常高等小学校猿別分教場と改称。
■大正09年 10月14日、西猿別尋常小学校と改称。
■昭和16年 4月1日、西猿別国民学校と改称。(国民学校令)
■昭和22年 4月1日、幕別町立西猿別小学校と改称。(6.3制)
■昭和53年 3月31日、閉校。4月1日、新幕別小学校へ統合。

 現在の西猿別地区は、岡山団体の入植予定地であった。この地域が国有未開地の貸付申請によって下付(※役所から人民へ下げ渡す意味)されたのは明治29年4月25日であった。大内己之吉氏、内野定吉氏が入地している。当時この地域は猿別原野の一部であり西に位置していた。「西猿別」と呼ぶようになったのは猿別地区の行政下から離れた大正9年10月以降のことである。明治32年、西川茂平氏が一反歩程度の水田を開田している。水田の歴史を紐解くと、同じ幕別町の途別の水田が有名だが、その2年前に猿別地区では水田経営に乗り出していた開拓者がいたことは余り知られていない。校章、校歌の制定日は不明だが、校歌の作詞は遠藤敏光氏。遠藤氏は昭和50年2月から、閉校となる昭和53年3月まで西猿別小学校の校長先生である。昭和52年11月27日、開校65年の閉校記念学芸会を開催しているがこの事業に合わせて西猿別小学校の歴史を讃える校歌が作られても不思議ではない。

(文責:上野敏郎)/span>
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幕別町立西猿別小学校 校舎
(画:菅野孝雄氏)


幕別町立西猿別小学校 校歌
 (文&絵:鎌田博文氏)
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[廃校で消えた学び舎と校歌]
(幕別町 中学校編 5回目)

幕別町立駒畠中学校
開校 昭和22年  |   閉校 昭和60年3月31日
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