上野敏郎の | |
上野敏郎の今週のコメント |
第1262回普段着のとかちミーティング |
開催日 令和2年7月8日(水) 話 題 とかち・消えた学び舎の風景[126] −幕別町立大豊小学校− (1947〜1978) |
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≪あゆみ≫ ■大正07年 幕別尋常高等小学校附属止若(やむわっか)特別教授場として開校。 ■大正09年 止若高台尋常小学校と改称。 ■昭和12年 止若高台地区を軍用地として陸軍が買収。⇒廃校。 ■昭和22年 4月、中川郡幕別小学校大豊分校として開校。 ■昭和26年 2月、幕別町立大豊小学校と改称。 ■昭和30年 校章制定。(創立10周年記念式典挙行) ■昭和41年 校歌制定。(創立20周年記念式典挙行) ■昭和53年 3月31日、閉校。4月1日、新幕別小学校へ統合。 大豊小学校の通学区域は、北は幕別小学校通学区域を境とし、西は幕別小学校通学区域及び南勢字界とし、南は南勢字界とし、東は豊頃村界を境とする地域をいう。この総面積は1,300町歩を有し、広大であることから、この地域は戦時中陸軍航空隊の演習場として使用された。昭和21年、戦争が終わると再び開拓地として開放され、復員軍人や海外からの引揚者を中心とした入植者が新しい農村づくりに開拓の鍬を振るったのであった。昭和33年に建立された開拓の碑には、「〜。当地入植者は資力と営農経験に乏しく、加えて食糧の欠乏等、混乱する戦後社会情勢のもとに、幾多の労苦を克服し、燃ゆるが如き開拓精神を堅持したるも、その困苦難渋は筆舌に尽きせぬものがあった。〜」とある。昼なお暗い原始林と闘いながら開墾に挑んだ明治時代とは違う、敗戦から這い上がろうと挑む開拓者の姿もあったのだ。忘れてならない。 |
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(文責:上野敏郎) |
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幕別町立大豊小学校 校舎 (画:菅野孝雄氏) |
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幕別町立大豊小学校 校歌 (文&絵:鎌田博文氏) |
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