上野敏郎の | |
上野敏郎の今週のコメント |
第1265回普段着のとかちミーティング |
開催日 令和2年7月15日(水) 話 題 とかち・消えた学び舎の風景[129] −幕別町立相川小学校− (1899〜1996) |
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≪あゆみ≫ ■明治30年 住民有志によって私設教育所を開設。 ■明治32年 7月、猿別尋常小学校(幕別小学校の前身)分教場として開校。 ■明治34年 4月、咾別(いかんべつ)尋常小学校に昇格。 ■明治38年 4月1日、万城目民治、ふじほ夫妻が着任。 10月19日、猿別尋常小学校と咾別尋常小学校が合併し、 幕別尋常高等小学校と改称する認可が下りる。 ■明治39年 3月、幕別尋常小学校咾別分教場に改称。 ■明治41年 6月19日、咾別尋常小学校に昇格。(7月2日、開校式) ■昭和16年 4月1日、咾別国民学校と改称。(国民学校令) ■昭和19年 10月、相川国民学校と改名。 ■昭和22年 4月1日、相川小学校と変更。(6.3制) ■平成08年 3月31日、閉校。4月1日、幕別小学校へ統合。 開拓当時の大字咾別村は、相川のほか明野(旧武山市街)、止若(やむわっか:現在の幕別市街)の一部を含んだ広大な面積を占めていた。しかし、学校の整備は遅れていた。そこで、住民有志が立ち上がり地域で開業する林武彦医師の家屋の一隅を借りて私立の教育所を開設したのが明治30年。その後、新校舎の建設場所を止若村武山市街としたため、村の真ん中に建設も求めていた咾別地区住民の怒りを買う騒動が起きている。咾別地区の子どもたちは新築校ではなく猿別校に全員が通ったのである。地域と学校の関係は難しい。相川小学校の沿革を見ながら少し残念な思いがある。昭和41年10月に幕別町開基70周年記念としてつくられた幕別町歌の作曲は万城目正氏、正氏の親は明治38年に相川校の前身校に教員として着任している。正氏は相川小学校の校歌の作曲もしているが、この制定日が分からないのである。相川校は、昭和41年8月にグランドピアノを購入している。昭和44年10月には開校70周年記念式典を挙行している。この辺が制定日なのだろうか。 |
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(文責:上野敏郎) |
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幕別町立相川小学校 校舎 (画:菅野孝雄氏) |
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幕別町立相川小学校 校歌 (文&絵:鎌田博文氏) |
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