上野敏郎の | |
上野敏郎の今週のコメント |
第1267回普段着のとかちミーティング |
開催日 令和2年7月20日(月) 話 題 とかち・消えた学び舎の風景[131] −幕別町立駒畠小学校− (1920〜2010) |
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≪あゆみ≫ ■大正09年 7月1日、糠内尋常小学校奥糠内特別教授場として開校。 ■昭和02年 4月1日、奥糠内小学校として独立。 ■昭和13年 4月1日、奥糠内尋常高等小学校と改称。 ■昭和16年 4月1日、奥糠内国民学校と改称。(国民学校令) ■昭和19年 10月、駒畠国民学校と改称。(地区の字名改名) ■昭和22年 4月1日、幕別町立駒畠小学校と改称。(6.3制) ■昭和44年 7月5日、校章、校歌制定。(開校50周年記念式典挙行) ■昭和47年 4月1日、弘和小学校を統合。 ■平成22年 3月31日、閉校。4月1日、幕別町立忠類小学校へ統合。 駒畠地区の開拓は、明治42年の尾畑与三吉氏や橋本宇吉郎氏、それより1年遅れて新田治作氏や新田常次郎氏らが入地したことから始まる。当時は、糠内の奥に当たることから「奥糠内」と呼ばれた。当然のことながら、周りは荒漠たる原野と千古斧鉞(せんこふえつ)を知らない大密林に覆われていた。白昼に巨熊が出没することも珍しくなかったというから、入植者の苦労は想像を絶するものであった。閉校に最も大きな影響を与える児童数に目を転じれば、大正9年の開校時は21人であり、昭和20年代から30年代にかけては100人を超えていたが、地域を支える産業の変化など、社会の流れには勝つことはできなかった。平成21年の卒業生は3人と減少の一途を辿った。残念ながら閉校時の在籍児童数の記録は見つけることができなかった。校章の図案は木戸秀夫氏、駒畠小学校の教員かは定かでない。校歌の作詞は同校8代校長田村正雄先生。 |
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(文責:上野敏郎) |
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幕別町立駒畠小学校 校舎 (画:菅野孝雄氏) |
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幕別町立駒畠小学校 校歌 (文&絵:鎌田博文氏) |
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