上野敏郎の | |
上野敏郎の今週のコメント |
第1268回普段着のとかちミーティング |
開催日 令和2年7月22日(水) 話 題 とかち・消えた学び舎の風景[132] −忠類村立中当縁小学校− (1938〜1971) |
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≪あゆみ≫ ■昭和13年 4月1日、広尾郡当縁尋常小学校中当縁特別教授場として開校。 ■昭和14年 8月14日、広尾郡中当縁尋常小学校に昇格。 ■昭和16年 4月1日、広尾郡中当縁国民学校と改称。(国民学校令) ■昭和22年 4月1日、忠類村立中当縁小学校と改称。(6.3制) ■昭和46年 3月31日、閉校。4月1日、忠類小学校へ統合。 中当縁地区は、忠類村の中では最も早く開拓の鍬が入った地域である。手元の資料によれば、「明治29年4月、新潟県蒲原郡味方村大字吉江村第26番地戸より鈴木久太郎単身渡道、田中清輔名義を以って字下当縁東1線より西2線に亘り12号より15号間にて79町1反7畝6歩の土地を十勝支庁(※当時河西支庁)に貸付出願せしに始まる。」とある。この願いが翌30年の2月に叶い7戸が単身移住している。31年、その家族全員の移住を終えて27人の部落を形成していく。先ずは、男が単身で移住し暮らしの環境を整え、その後に家族を呼び寄せている。この姿に開拓の厳しさと家族への思いやりを感じるのは当然だろう。しかし、この地域に学校ができるのは遅く昭和に入ってややしばらくしてからである。それまでは、現在の大樹町美成にあった当縁尋常小学校に通っていた。その道のりは片道7キロである。それだけに、地元に学校ができたときの喜びは大きかった。とりわけ、8人の在校生は心から嬉しかったに違いない。校章、校歌の記録はあるが制定日は不明。 |
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(文責:上野敏郎) |
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忠類村立中当縁小学校 校舎 (画:菅野孝雄氏) |
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忠類村立中当縁小学校 校章 |
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