上野敏郎の | |
上野敏郎の今週のコメント |
第1269回普段着のとかちミーティング |
開催日 令和2年7月27日(月) 話 題 とかち・消えた学び舎の風景[133] −忠類村立明和小学校− (1932〜1972) |
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≪あゆみ≫ ■昭和07年 9月22日、広尾郡忠類尋常高等小学校幌内特別教授場として開校。 ■昭和11年 4月1日、幌内分教場に改称。 ■昭和14年 8月14日、明和尋常小学校に昇格。 ■昭和16年 4月1日、明和国民学校と改称。(国民学校令) ■昭和22年 4月1日、忠類村立明和小学校と改称。 (6.3制) ■昭和47年 3月31日、閉校。4月1日、忠類小学校へ統合。 この地域には明治44年に久我正儀氏等数戸が草分け的に入地し、その後大正元年から二年にかけて10数戸が入植している。入地当時は元忠類部落区域だったことから、移住者の子弟は当時の忠類尋常小学校に通っていたが、定住者が増えたこともあり幌内地区として独立し昭和7年に幌内特別教授場の開校を見た。開校時の児童数は40人、初代教員は菅沼靖、さだ夫妻の二人だった。しかし、村の財政は厳しく校舎の整備をするゆとりは無かった。そこで地域住民は教育後援会をつくり住民総出で校舎等の増築に力を入れることになる、その結果が昭和14年の明和尋常小学校の昇格につながったのである。学校の周りは山林に囲まれていたこともあり、昭和25年から学校事業として取り組んだ学校植林が特長的あった。その努力の甲斐あり4年後のコンクールでは十勝管内で第一位、全道でも二位に輝いている。校章の記録はないが、校歌はある。しかし、詳しい沿革資料に乏しくその制定日は不明。 |
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(文責:上野敏郎) |
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忠類村立明和小学校 校舎 (画:菅野孝雄氏) |
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忠類村立中当縁小学校 校章 (文字&絵:鎌田博文氏) |
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