上野敏郎の | |
上野敏郎の今週のコメント |
第1270回普段着のとかちミーティング |
開催日 令和2年7月29日(水) 話 題 とかち・消えた学び舎の風景[134] −忠類村立西当縁小学校− (1936〜1974) |
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≪あゆみ≫ ■昭和10年 10月1日、新田牧場より学校敷地12,600坪寄贈される。 ■昭和11年 3月1日、西当縁尋常小学校として開校。 ■昭和16年 4月1日、大樹村西当縁国民学校と改称。(国民学校令) ■昭和24年 8月20日、忠類村立西当縁小学校と改称(大樹村から分村) ■昭和49年 3月31日、閉校。4月1日、忠類小学校へ統合。 閉校記念誌ではこの地域の概況を次のように説明する。「本校の校下は忠類村の西端に位置し、大樹町と更別村上更別に隣接し、面積はおおよそ10平方キロメートル、概ね方形で平坦、全般に乾燥地多く地味肥沃、農牧畜の適地である。西当、日和の2部落を校下に持ち、戸数46戸を有する。〜」これは、閉校時の様子を表したものだが、次に紹介する文章はこの地域住民の素晴らしさをそのまま言い当てている。「〜校下住民は勤労を尊び、殊に最近は共同作業を通じて日常の触れ合いの中に家族的閉鎖性が除かれ、融和で活気に満ちている、PTAは校下全戸を以て構成され、学校行事、施設の充実、学校参観、教育相談など熱心で協力的である。」と。この精神は長い間で培われたものであることは言うまでもない。昭和30年代、児童と地域住民が一緒に実習畑を耕作し、その収穫益で全員が修学旅行に参加する方法を定着させた地域力は高い評価を得ていい。校章、校歌の記録は不明。 |
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(文責:上野敏郎) |
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忠類村立中西当縁小学校 校舎 (画:菅野孝雄氏) |
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忠類村 村章 (文字&絵:鎌田博文氏) |
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