上野敏郎の | |
上野敏郎の今週のコメント |
第1272回普段着のとかちミーティング |
開催日 令和2年8月3日(月) 話 題 とかち・消えた学び舎の風景[136] −池田町立様舞小学校− (1911〜1980) |
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≪あゆみ≫ ■明治44年 7月14日、池田尋常小学校様舞分教場として開校。 ■昭和16年 4月1日、様舞国民学校と改称。 ■昭和42年 3月1日、校章制定。 6月1日、帽章制定。 ■昭和51年 9月1日、校歌制定。(作詞小原四郎、作曲伊林俊延) ■昭和55年 3月31日、閉校。4月1日、池田小学校へ統合。 様舞(さままい)の地名はアイヌ語からきている。意味は「和人の居る所」。この地へ和人が定着し始めたのは明治30年9月、鳥取県人の原田万蔵氏ら7戸。今でもそうだが、当時から近くを流れる利別川曲流部は良い釣り場だった。入植当時は、生きた蛙に針金を通して曲げたものを川の中に流しておくと、2、3尺の赤腹やイトウなどがいくらでも釣れたと記録が残されている。 そのような環境の中に誕生した様舞分教場のスタートは24人の児童から始まる。開拓の鍬が進むにつれてその数は増えていき一時は72人を数えたが、昭和59年代には一桁となり閉校時は2人であった。この数は北海道の中で五指に入ると閉校記念誌は記している。それでも、子ども郵便局表彰7回が証明する「勤倹治産」の校風は永久に輝く。 |
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(文責:上野敏郎) |
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池田町立様舞小学校 校舎 (画:菅野孝雄氏) |
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池田町立様舞小学校 校歌 (文字&絵:鎌田博文氏) | ||||||
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