上野敏郎の
         上野敏郎の今週のコメント

第1275回普段着のとかちミーティング


開催日 令和2年8月12日(月)
話 題 とかち・消えた学び舎の風景[139]
     −池田町立近牛小学校−
      (1951〜1990)

 ≪あゆみ≫
■昭和25年 12月1日、高島小学校近牛季節分校を開設。
■昭和26年 12月1日、高島小学校近牛分校を設置。
■昭和33年 4月1日、池田町立近牛小学校に昇格。
■昭和36年 5月、校章制定。
■昭和41年 6月1日、校歌制定。
■平成02年 3月31日、閉校。4月1日、高島小学校へ統合。

 近牛(ちかうし)とは、アイヌ語のチカップマイのことで「鳥のいる所」「水鳥の集まる所」の意。明治時代、この地域の児童は利別川を渡船で青山尋常小学校へ通っていた。しかし、明治の末期から大正、昭和にかけては北部の児童は信取尋常小学校へ、南部の児童は様舞尋常小学校へ通うようになる。昭和16年以降は、この地域の全児童が高島国民学校へ通うことになるが通学には距離の長さと冬の寒さという厳しいものがあり昭和26年の分校設置になったのであった。さて、児童数を見れば、昭和27年は14人、35年は37人と推移するが、それ以降は減少の一途を辿ることになる。昭和43年には19人となり、その後も増えることはなく、閉校時の児童数は5人だった。閉校後の校舎は郷土資料館として活用。

(文責:上野敏郎)
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池田町立近牛小学校 校舎
(画:菅野孝雄氏)


池田町立近牛小学校 校歌
(文字&絵:鎌田博文氏)
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[廃校で消えた学び舎と校歌]
(陸別町 中学校編 2回目)

陸別町立小利別中学校
開校 昭和22年  |   閉校 昭和54年3月31日
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