上野敏郎の | |
上野敏郎の今週のコメント |
第1280回普段着のとかちミーティング |
開催日 令和2年8月24日(月) 話 題 とかち・消えた学び舎の風景[144] −池田町立千代田小学校− (1905〜1995) |
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≪あゆみ≫ ■明治38年 7月2日、蝶多簡易教育所として開校。 ■明治39年 10月31日、蝶多尋常小学校と改称。 ■明治40年 蝶多村から千代田村へ改名。 ■大正04年 7月21日、千代田尋常小学校と改称。 ■昭和16年 4月1日、千代田国民学校と改称。(国民学校令) ■昭和22年 4月1日、池田町立千代田小学校と改称。(6.3制) ■昭和37年 3月14日、校歌、校章を制定。 ■平成06年 3月31日、閉校。4月1日、利別小学校へ統合。 「千代田」は、アイヌ語のチエオタが語源。意味は、我々が食事をする砂原。古くは「蝶多(ちょうた)」とし、蝶多村といった時代もあった。砂原はどちらかと言えば、海を連想するが現在は十勝川が流れる地形だ。でも、専門家に言わせれば地形的には海成層であり、実際に海の化石が見つかるというから、昔は海だったのかも知れない。明治29年、この地に徳島県から武智梅太郎氏が移住してくる。30年には武智氏と同じ村から小原藤吉氏が移住、この年に利別、帯広間の道が開通している。現在の国道242号線である。そして、もっと研究されていいことは、武智氏が明治32年に池田で初めて稲作に挑戦したことである。武智氏は沢水を利用して、ニオイワセ、在来赤毛等の品種の実験に取り組んでいる。現在の十勝は、いわゆる稲作地帯ではないが、遠い昔、開拓者はコメ作りに果敢に挑んだことを忘れるべきではない。 |
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(文責:上野敏郎) |
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池田町立千代田小学校 校舎 (画:菅野孝雄氏) |
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池田町立千代田小学校 校歌 (文字&絵:鎌田博文氏) | ||||||
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