上野敏郎の | |
上野敏郎の今週のコメント |
第1281回普段着のとかちミーティング |
開催日 令和2年8月26日(水) 話 題 とかち・消えた学び舎の風景[145] −池田町立昭栄小学校− (1902〜1997) |
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≪あゆみ≫ ■明治35年 4月9日、十佛簡易教育所として開校。 ■明治39年 10月18日、十佛尋常小学校に昇格。 ■昭和16年 3月31日、昭栄尋常小学校と改称。 4月1日、昭栄国民学校と改称。(義務教育八年制) ■昭和22年 4月1日、池田町立昭和小学校と改称。(6.3制) ■昭和57年 3月22日、校旗、校章制定。 3月24日、校歌制定。 ■平成09年 3月31日、閉校。4月1日、池田小学校へ統合。 昭栄小学校閉校記念誌を基にし、創立当時を紹介したい。開拓時代の最初の教育施設の名称のほとんどは「簡易教育所」である。この教育所は全道的なもので主に明治25年から35年にかけて設置されている。池田町でも、明治34年に信取地区、同34年に池田地区、同35年には十佛(とおふつ)、蓋派(けなしぱ)地区に、同38年には蝶多地区で簡易教育所を開校している。そのほとんどは、地域の篤志家や住民からの寄附によってだったが、昭栄小学校の始まりとなる十佛簡易教育所は、凋寒(しぼさむ)村の村費での設置であった。昭和35年の開校。開校時の校舎は、遠藤亀次郎氏の旧住宅を活用したもので、ソーメンの箱を机代わりにしていた。学科は読み方と書き方で、ノートはなかった。学校に通う道路は整備されておらず、児童の登下校は「渡船」だった。更に記録しておきたいことは、開拓時代の子どもは貴重な労働力であった。よって、欠席児童も多かった。池田町の「懐かしのアルバム」には、十佛尋常小学校の『不就学督促簿』の写真が残されている。 |
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(文責:上野敏郎) |
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池田町立昭栄小学校 校舎 (画:菅野孝雄氏) |
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池田町立昭栄小学校 校歌 (文字&絵:鎌田博文氏) | ||||||
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