上野敏郎の
         上野敏郎の今週のコメント

第1287回普段着のとかちミーティング


開催日 令和2年9月11日(金)
話 題 とかち・消えた学び舎の風景[151]
     −豊頃町立湧洞小学校−
      (1901〜1987)

 ≪あゆみ≫
■明治34年 8月1日、有道簡易教育所として開校。
■明治37年 1月1日、「有道」を改称し、湧洞教育所となる。
■大正06年 4月1日、湧洞尋常小学校と改称。
■昭和16年 4月1日、湧洞国民学校と改称。(国民学校令)
■昭和22年 4月1日、豊頃村立湧洞小学校と改称。(6.3制)
■昭和40年 1月1日、豊頃町立湧洞小学校と改称。(町制施行)
■昭和50年 3月、昭和40年度卒業記念として「校章」を制作。
■昭和62年 3月31日、閉校。4月1日、茂岩小学校へ統合。

 明治時代以前の湧洞は、時おりアイヌ民族が狩猟に入るだけの未開地であった。「湧洞」の名の起こりも、アイヌ語では、ユーウントウ(湯の泥の意)と呼んでいたが、いつの頃から定かではないがユードウ(有道⇒湧洞)と呼ばれるようになった。
 明治6年、佐藤嘉平氏が湧洞浜街道で駅逓を経営していたが、この地域最初の開拓の鍬は青森県人の吉田新六夫妻が入地した明治16年とされている。吉田夫妻は、農業の傍ら柾割業も営んでいた。その後、入地者が増え明治34年に簡易教育所を開校する。この校舎は昭和9年改築されるが昭和27年の十勝沖地震で全壊してしまう。その後、幾多の困難を乗り越えながら郵便局、公共バスなど交通や逓信等の整備は進む。それでも全戸に電気が通るのはまだ遠かった。
 校章を卒業記念に制作した記録はあるが制定日は不明。校歌の記録も不明。

(文責:上野敏郎)
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豊頃町立湧洞小学校 校舎
(画:菅野孝雄氏)


豊頃町立湧洞小学校 校章
(画:鎌田博文氏)


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