上野敏郎の
         上野敏郎の今週のコメント

第1289回普段着のとかちミーティング


開催日 令和2年9月16日(水)
話 題 とかち・消えた学び舎の風景[153]
     −豊頃町立統内小学校−
      (1905〜1993)

 ≪あゆみ≫
■明治38年 1月8日、中川郡茂岩尋常小学校附属統内特別教授所を開く。
■明治39年 11月30日、統一簡易教育所と改称。
■大正06年 5月、統内尋常小学校と改称。
■昭和16年 4月1日、統内国民学校と改称。(国民学校令)
■昭和22年 4月1日、豊頃村立統内小学校と改称。(学制改革。6.3制)
■昭和39年 5月1日、校歌制定。
■昭和40年 1月1日、豊頃町立統内小学校と改称。(町制施行)
■平成05年 3月31日、閉校。4月1日、茂岩小学校へ統合。

 アイヌ語の「トーナイ」の「トー」は、「沼」のこと、「ナイ」は「川」のこと、よって「トーナイ」とは「沼や川が多いところ」の意味。
 この原野に開拓の鍬が下ろしたのは越前から入地した坂下市太郎氏と岩崎仁作氏である。明治27年だった。その後移住者が増え明治45年には戸数33戸の記録が残っている。しかし、開拓者の生活は厳しく、いなきびや長うずらなどを混ぜた混食が常食だった。
 そんな中にあっても住民は子弟の教育は重要と考えた。学び舎を開校したのは明治38年である。昭和39年5月1日に制定した校歌は、作詞は「統内小学校」となっているが、みんなで詩を考えたという意味だと思う。一番は「原始(げんし)の森林(はやし) 荒野(あらつち)を 父祖の開拓(ひら)いたこの故郷(にわ)で 苦難の歴史偲びつつ 強い心をきたえます」である。先人の息吹が感じられるではないか。
 校章の記録はあるが制定日は不明。

(文責:上野敏郎)
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豊頃町立統内小学校 校舎
(画:菅野孝雄氏)


豊頃町立統内小学校 校歌
(文字&絵:鎌田博文氏)


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