開催日 令和2年9月23日(水)
話 題 とかち・消えた学び舎の風景[154]
−豊頃町立二宮小学校− (1959〜2002) |
≪あゆみ≫ ■明治31年 12月、興復社内で読み書きの手ほどきを始める。 ■明治33年 興復社農場の仮事務所内で一般児童の教育が始まる。 ■明治34年 12月1日、牛首別(うししゅべつ)簡易教育所を開校。 ■明治38年 4月1日、二宮尋常小学校と改称。 ■昭和02年 4月1日、校旗・校章を制定。 ■昭和16年 4月1日、二宮国民学校と改称。(国民学校令) ■昭和22年 4月1日、豊頃村立二宮小学校と改称。(6.3制) ■昭和35年 12月1日、校歌制定。(開校60周年記念式典挙行) ■昭和40年 1月1日、豊頃町立二宮小学校と改称。(町制施行) ■昭和54年 4月1日、報徳小学校を統合。 ■平成13年 3月31日、閉校。4月1日、茂岩小学校へ統合。
二宮小学校が開校百周年を記念し建立した碑の裏に次のような一文がある。「明治30年、福島県相馬の地より理想郷の建設を志す二宮尊親率いる興復社一行が入植し壮大な開拓が始まる。明治34年12月1日、興復社事務所を利用して牛首別簡易教育所が創立された。二宮小学校の教育の始りである。厳しい自然の中で、原始の森を切り開きながら子弟教育を始めた先人の並々ならぬ決意と深い思いが伝わってくる。〜」と。
この地域の機運が、明治38年4月、尋常小学校昇格の機を捉えた校名変更に反映することになる。当時の各学校は、アイヌ語から地名、校名を決めていた。しかし、牛首別の人々は違った。この地に開拓の鍬を下した興復社のリーダー二宮尊親氏、その祖父の二宮尊徳翁にあやかって「二宮」を冠したいと願い出るのである。もちろん、興復社は許可するが、後日当の二宮尊親先生は「公共の施設に個人の名をつけるのはよくない」と語ったそうである。
ウシシュベツとは、「いつも山すそを流れる川」の意味である。何故か、穏やかな村人の行き来姿が頭をよぎるのである。
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(文責:上野敏郎) |
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豊頃町立二宮小学校 校舎 (画:菅野孝雄氏)
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豊頃町立二宮小学校 校歌 (文字&絵:鎌田博文氏)
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