上野敏郎の
         上野敏郎の今週のコメント

第1292回普段着のとかちミーティング


開催日 令和2年9月28日(月)
話 題 とかち・消えた学び舎の風景[156]
     −豊頃町立豊頃小学校−
      (1911〜1991〜2007)

 ≪あゆみ≫
■明治44年 3月4日、豊頃教育所設立認可を受ける。
■大正02年 4月1日、豊頃尋常小学校に昇格。
■昭和16年 4月1日、豊頃国民学校と改称。
■昭和21年 5月1日、豊頃村立豊頃小学校と改称。
■昭和26年 12月22日、校歌制定。
■昭和40年 1月1日、豊頃町立豊頃小学校と改称。(町制施行)
■昭和49年 12月7日、校旗寄贈。(校章制定か?)
■平成03年 4月1日、礼文内小学校を統合。二代目豊頃小学校の歩みとなる。
■平成19年 3月31日、二代目豊頃小学校を閉校。
■平成19年 4月1日、茂岩小学校と対等統合し三代目豊頃小学校となる。

 ある資料によれば、現在の豊頃小学校は三代目とある。初代は開校した明治44年から始まる。二代目は、平成3年に礼文内小学校と茂岩小学校の一部地域を統合する豊頃小学校、そして三代目は、茂岩小学校と二代目豊頃小学校を閉校し、両校が対等統合して現在に至る現豊頃小学校である。
 そこでここでは次のように整理した。平成19年3月に発行された豊頃小学校閉校記念誌を見れば、初代の岸本政治校長から二代目閉校時の第22代池田斎校長まで沿革は途切れてはいないことから、行政記録として現小学校は三代目であるが、ここでは初代、二代目は閉校扱いとはしないこととした。
 さて、茂岩小学校と豊頃小学校の統合は慎重に進められている。平成17年に検討委員会を設置し幾度となく保護者も含めた会議を開いている。平成17年6月22日の会議で次のことを決めた。@統合年月日は平成19年4月1日とする。A統合の方式は二つの小学校を閉校し対等関係で新しい小学校を開校する。B新しい校舎は現在の豊頃小学校の場所とする。そして、翌月の7月18日の会議では、@新しい学校名は、豊頃町立小学校とする。A新しい校歌は、茂岩小学校の校歌を使用する。B新しい校章は、茂岩小学校の校章の「茂小」の字を「豊小」に換えることで合意している。正に、江戸時代なら「大岡裁き」と評される苦労の痕が感じられる着地点である。

(文責:上野敏郎)
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豊頃町立豊頃小学校 校舎
(画:菅野孝雄氏)


豊頃町立豊頃小学校 校歌
(文字&絵:鎌田博文氏)
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