上野敏郎の
         上野敏郎の今週のコメント

第1295回普段着のとかちミーティング


開催日 令和2年10月5日(月)
話 題 とかち・消えた学び舎の風景[159]
     −本別町立下美里小学校−
      (1903〜1970)

 ≪あゆみ≫
■明治36年 5月5日、第三本別簡易教育所として開校。
■明治44年 3月31日、第三本別尋常小学校に組織変更指令。
■大正04年 4月1日、旧本別村など近隣の村が合併し新本別村となる。
■大正06年 6月5日、本別村立下美里尋常小学校と改称。
■昭和08年 5月1日、町制施行。
■昭和16年 4月1日、本別町下美里国民学校と改称。
■昭和22年 4月1日、本別町立下美里別小学校と改称。(学制改革)
■昭和45年 3月31日、閉校。4月1日、本別中央小学校へ統合。

 下美里別は、本別町の中央に位置し美里別川を中心とした純農村地域。明治32年、伊藤重記氏らがこの地に開拓の鍬を入れる。残念ながら出身県は分からないが、面白い表現を目にした。
 当時は、美里別原野全体を「ビリベツ組」と呼んでいた。上美里別や活込(かっこみ)までも含む広い地域であった。明治35年12月、ビリベツ組内の児童が本別まで通学するのは遠すぎるとして、何としても、組内に学校を建設しようとする機運が大いに高まることになる。その希望は、組内で牧場を経営する鈴木盛氏が自ら所有する大きな家を提供することで叶うのであった。
 下美里別小学校の閉校記念誌にこんな文言が載っている。「明治36年1月5日、鈴木氏の前の住宅を仮教室とし私立教育所を設け教員として鈴木忠義を雇い、黒板は組内の有志がつくり、机は通学児童の父兄が用意し、教科書は組内各自応分の金を出し合い函館書肆十二堂より購入した。」と。なぜか、目頭が熱くなる話ではないか。校歌、校章の制定日は不明。

(文責:上野敏郎)
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本別町立下美里小学校 校舎
(画:菅野孝雄氏)



本別町立下美里小学校 校歌
(文字&絵:鎌田博文氏)

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  上野敏郎へのメールの宛先はt-ueno@octv.ne.jpです。