上野敏郎の
         上野敏郎の今週のコメント

第1296回普段着のとかちミーティング


開催日 令和2年10月7日(水)
話 題 とかち・消えた学び舎の風景[160]
     −本別町立本別小学校−
      (1902〜1970)

 ≪あゆみ≫
■明治35年 1月10日、第二本別簡易教育所として開校。
■明治38年 4月4日、公立本別尋常小学校(4年制)と改称。
■明治40年 6月28日、公立本別尋常高等小学校と改称。
■大正14年 5月12日、校旗入魂式挙行。(校章制定)
■昭和05年 9月9日、校歌制定。
■昭和16年 4月1日、本別国民学校と改称。(国民学校令)
■昭和22年 5月1日、本別町立本別小学校と改称。(学制改革)
■昭和36年 10月22日、新しい校歌を制定。
■昭和45年 3月31日、閉校。4月1日、本別中央小学校へ統合。

 和人が本別原野に開拓者として初めて入地したのは、明治29年(明治27年説もある)、篠原相松氏と言われている。同30年には、勇足に利別農場が開設され東條儀三郎氏ら61戸が入地する。
 その子弟教育の扉が開き始めるのは明治32年9月、農場や近くの集落の児童を集めて私塾教育所づくりが動き出す。先生は僧侶、読み書きの教科書は先生直々の毛筆による手作りであった。児童が持参する弁当はほとんどがイナキビに豆を混ぜたおにぎりだ。開墾生活は厳しかったが、そこに生きる人々は心身共に逞しかった。
 その様子は、昭和5年に制定した校歌に窺い知ることができる。

義経山に昇る日を 君の恵みと仰ぎつつ 伸び行く我に撻(むちう)ちて心の鏡磨ぎ澄まし 身を鐵(てつ)のごと鍛えては 力豊けき人たらん

 ここにある「君の恵み」の「君」の議論はともかく、正に〈我ここに生きる〉の決意は伝わってくるではないか。共感を覚えてならない。

(文責:上野敏郎)
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本別町立本別小学校 校舎
(画:菅野孝雄氏)



本別町立本別小学校 校歌
(文字&絵:鎌田博文氏)

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