開催日 令和2年10月9日(金)
話 題 とかち・消えた学び舎の風景[161]
−本別町立拓進小学校− (1950〜1970) |
≪あゆみ≫ ■昭和25年 4月1日、本別町立拓進小学校として開校。 ■昭和27年 1月1日、校章制定。 ■昭和45年 3月31日、閉校。4月1日、仙美里小学校へ統合。
拓進小学校の資料は少ない。拓進地区は、終戦後に緊急的に開拓者として入植した人々が多いところ。昭和24年に建設に着手した拓進小学校の校舎も、旧軍馬補充部の厩舎を利用し入植者施設の補助工事として作られたのである。総坪数は92坪、工事費は69万円、125人の父兄の労力奉仕を必要とした。
第3代校長の島田信一先生は、「帰農した軍人と軍属で作られた拓進の地は、まだ殺伐とした気風が抜けておらず児童の喧嘩が絶えなかった。よって、敬愛を校訓として和の大切さを説いて聞かせた」と記録に残している。
さて、開校時の児童数は65人、昭和33、34年頃は108人と増えたがそれ以降は減少が続いた。児童数が24人になったとき学校の統合が話題となり、住民協議も重ねた結果20年の校史を閉じることにしたのであった。校歌の記録は不明。
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(文責:上野敏郎) |
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本別町立拓進小学校 校舎 (画:菅野孝雄氏)
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本別町立拓進小学校 校章 (文字&絵:鎌田博文氏)
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