上野敏郎の
         上野敏郎の今週のコメント

第1298回普段着のとかちミーティング


開催日 令和2年10月12日(月)
話 題 とかち・消えた学び舎の風景[162]
     −本別町立新生小学校−
      (1952〜1970)

 ≪あゆみ≫
■昭和27年 2月2日、本別町立新生小学校として開校。
■昭和32年 2月12日、失火が原因で校舎全焼。二日後には足寄中学校で授業を再開。
■昭和39年 足寄町の通学区域の変更により本別町の児童のみの学校となる。
■昭和45年 3月31日、閉校。4月1日、仙美里小学校へ統合。

 新生小学校及び新生地区についての資料は少ない。昭和36年発行「本別町60年の歩み」には、〜開拓学校として現在地に足寄町と共同出資で建設、昭和32年校舎全焼、同年10月新築〜したとある。
 また、昭和53年発行の「本別町 学校の歴史」には、〜終戦時、北部91部隊(帯広高射砲隊)の復員者20数名が、戦後の国土復興と自らの再出発の為に、この地区を選んで入植し、「新生」の意をもって開拓を進めた。〜とある。とは言っても、当時のこの地域は原始林密集地帯であったから、「新生(あらおい)の気概」も時には心が折れそうになったことは想像に難くない。
 それでも、子弟の学び舎づくりが話題に上り始めたのは昭和23、4年ごろと割と早かったが行政間の話し合いに時間を要している。それは、この地域は本別町と足寄町の二つに跨っていたため、2町間の調整が難航した。それでも、二つの町は時間を掛けて調整し、お互いにお金を出し合って昭和27年の開校に至ったのである。
 開校時の児童数は30人、閉校時は12人であった。校歌、校章の記録はあるが制定日は不明。

(文責:上野敏郎)
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本別町立新生小学校 校舎
(画:菅野孝雄氏)



本別町立新生小学校 校章
(文字&絵:鎌田博文氏)

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