上野敏郎の
         上野敏郎の今週のコメント

第1299回普段着のとかちミーティング


開催日 令和2年10月14日(水)
話 題 とかち・消えた学び舎の風景[163]
     −本別町立美栄小学校−
      (1945〜1974)

 ≪あゆみ≫
■昭和20年 7月1日、本別町仙美里国民学校上仙美里分校として開校。
■昭和23年 4月1日、本別町立仙美里小学校仙美里分校と改称。
■昭和32年 4月1日、本別町立美栄小学校として独立。
■昭和50年 3月31日、閉校。4月1日、仙美里小学校へ統合。

 美栄地区は本別町の北東部に位置する。仙美里より約10q奥に入った狭い沢の付近にある集落だ。平地が少なくやせ地、湿地であったため農業には適さなかった。この地に、昭和19年、軍に供給する木材や木炭を増産する事業所が開設された。木炭製造業に従事する戸数だけでも65戸を数えた。児童生徒の数も同じ数ぐらいいることから当然学校をつくるべしとする声が起きてくる。しかし、当時の教員不足がその速度を鈍らせていたため、仙美里小学校の分校という形で開校せざるを得なかった。教員は本校から一人派遣、教材などは部落民の手づくりだった。すごいエネルギーではないか。昭和27年、この地が開拓地に認定されたのを機に「美栄」地区となった。校歌も校章もあるが制定日は不明。ただ、校歌の作詞、作曲はいずれも在籍職員名簿に名があることから、昭和43年から46年までの間の制作と推測できる。

(文責:上野敏郎)
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本別町立美栄小学校 校舎
(画:菅野孝雄氏)



本別町立美栄小学校 校章
(文字&絵:鎌田博文氏)

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