上野敏郎の
         上野敏郎の今週のコメント

第1300回普段着のとかちミーティング


開催日 令和2年10月16日(金)
話 題 とかち・消えた学び舎の風景[164]
     −本別町立拓栄小学校−
      (1940〜1975)

 ≪あゆみ≫
■昭和15年 11月14日、本別町立仙美里国民学校に附属する奥仙美里分教場として開校。
■昭和32年 4月1日、本別町立拓栄小学校に昇格。
■昭和50年 3月31日、閉校。4月1日、仙美里小学校へ統合。

 昭和15年、当時の木炭需要に応えるため本別製炭実行組合加入業者を中心に約80戸の人たちがパンケ仙美里地帯に入地し、木炭の生産活動を始める。 新しい集落の誕生である。この集落は、昭和25年に製炭実行組合が解散するが、最盛期には100世帯を超える人たちが活気あふれる生活を営んでいた。
 学校の開校は、入地した製炭業者の子弟の教育のために製炭実行組合が建てた。校地は山田幸作氏の好意により無償貸与、校舎建設には父母の力を結集があった。奥仙美里分教場開校の実話である。
 開校時の児童数は53人。35年経て、社会環境や児童数の変化を受け閉校、その時の児童数は7人だった。校歌の記録は不明。校章の記録はあるが制定日は不明。

(文責:上野敏郎)
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本別町立拓栄小学校 校舎
(画:菅野孝雄氏)



本別町立拓栄小学校 校章
(文字&絵:鎌田博文氏)

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