上野敏郎の
         上野敏郎の今週のコメント

第1301回普段着のとかちミーティング


開催日 令和2年10月19日(月)
話 題 とかち・消えた学び舎の風景[165]
     −本別町立上美里別小学校−
      (1899〜1977)

 ≪あゆみ≫
■明治38年 6月10日、第三本別簡易教育所特別教授所として開校。
■明治40年 9月5日、第四本別簡易教育所と改称。
■明治44年 4月1日、第四本別尋常小学校に昇格。(組織変更)
■大正06年 6月5日、上美里別尋常小学校に改称。
■昭和16年 4月1日、上美里別国民学校と改称。(国民学校令)
■昭和22年 4月1日、本別町立上美里別小学校と改称。(新小学校令)
■昭和52年 3月31日、閉校。4月1日、美里別小学校へ統合。

 上美里別は、本別町の北西部に当たる。開拓の鍬は明治32年から入るが、その記録には嵐四郎氏、同長助氏、伏見隆行氏、三浦忠清氏、稲田岩五郎氏、井出英作氏等々がずらりと登場する。上美里別地区の開拓はこの一族の働きが大きかった。
 子弟の教育に特に熱心だったのは伏見隆行氏、嵐長助氏。特に伏見氏は自分の所有する草小屋を学び舎として提供するほどの熱の入れようだった。この寺子屋が明治38年に特別教授所の認可を得るのである。児童数は4人、授業は週1回,新明甚三氏による授業とある。 勉強に必要な校具はすべて保護者の寄附で賄われた。児童数の推移をみれば、開校時の4人から始まり、尋常小学校に昇格する明治44年には60人に増えている。最も多いのは昭和20年の176人。 しかし、71年の校史に幕を降ろす時は12人だった。校歌の記録は見つけることができなかったが、校章はある。でも、制定日は不明。

(文責:上野敏郎)
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本別町立上美里別小学校 校舎
(画:菅野孝雄氏)



本別町立上美里別小学校 校章
(文字&絵:鎌田博文氏)

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