上野敏郎の
         上野敏郎の今週のコメント

第1303回普段着のとかちミーティング


開催日 令和2年10月23日(金)
話 題 とかち・消えた学び舎の風景[167]
     −本別町立活込小学校−
      (1913〜1977)

 ≪あゆみ≫
■大正02年 4月20日、中川郡本別村公立第四本別尋常小学校活込特別教授所として認可。21日、開校式。
■大正06年 6月、中川郡本別村上美里別尋常小学校活込特別教授所と改称。
■大正09年 12月26日、中川郡本別村公立活込尋常小学校と改称。
■昭和08年 5月1日、本別町公立活込尋常小学校と改称。(町制施行)
■昭和22年 4月1日、中川郡本別町立小学校と改称。(六・三・三制実施)
■昭和32年 2月24日、校章制定。
■昭和52年 3月31日、閉校。4月1日、美里別小学校へ統合。

 様々な小学校の閉校記録を読んでいると、「開拓学校として開設」という表現をよく目にする。活込小学校の誕生もそうだ。
 本別町史によれば、この地域は特に交通が不便であったため教員の確保がすこぶる難しかったようだ。こんな記述がある。
 「大正9年3月20日、保護者全部を招集、授業を参観せしめ、本年度不幸にも教員の任命なきため、授業日数3分の2に達せざるを以て、進級方を協議せしに、何れも停級せしむるを希望せるを以て、進級せしめざるに決定す」とある。※ひらがな部分は、原文はカタカナになっている。
 また、別の記述には昭和5年には、3月から5月まで教員を派遣してもらうことが難しいので三か月間休校している。いずれも、教員不足が子どもたちの勉強に支障をきたしているかを知ることができる。と同時に、いかに厳しい環境の中であっても当時の大人たちは、子どもたちの学ぶ場の確保を図ろうとしていたかを窺い知ることもできるのである。脱帽!しかない。

(文責:上野敏郎)
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本別町立活込小学校 校舎
(画:菅野孝雄氏)



本別町立活込小学校 校章
(絵:鎌田博文氏)

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