上野敏郎の
         上野敏郎の今週のコメント

第1304回普段着のとかちミーティング


開催日 令和2年10月26日(月)
話 題 とかち・消えた学び舎の風景[168]
     −本別町立押帯小学校−
      (1917〜1981)

 ≪あゆみ≫
■大正06年 6月10日、勇足尋常小学校所属押帯特別教授所として開校。
■大正15年 7月29日、美欄別尋常小学校に所属を変更。
■昭和03年 11月12日、押帯尋常小学校に昇格。
■昭和22年 4月1日、本別町立押帯小学校と改称。(新小学校令)
■昭和41年 11月20日、開校50周年記念式典挙行。校歌制定?
■昭和56年 3月31日、閉校。4月1日、勇足小学校へ統合。

 押帯(オショップ)とは、アイヌ語の「オシオプ」からきている。意味は「川口の川床が箱のように深い」。
 本別町発行の「学校の歴史」はこの地を次のように説明する。「押帯の地は明治末期まで人跡未踏の地であった。然し明治30年、東條儀三郎らによる利別農場の開拓に伴いこの地方にも多くの和人が移住するようになった。その頃、度重なる利別川の氾濫による被害を避けて、利別川流域から押帯川の流域へと、水害のない地を求めて移り住んだのである。」と。
 開拓に燃える先人たちは、よりよい土地を求めてこの地に集まりやがて一つの集落をつくっていく。当然学齢に達する子弟たちも増える。大正6年、勇足尋常小学校に所属する特別教授所を、男9人、女13人の計22人で開校するのであった。
 校章、校歌の記録は残っているが制定日は不明。但し、校歌の作詞は「辻田政二」氏である。辻田氏は、昭和37年4月から42年3月まで在任している第13代校長先生だ。となると、昭和41年に挙行した開校50周年記念式典で校歌が初めて披露されたものと推測できる。

(文責:上野敏郎)
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本別町立押帯小学校 校舎
(画:菅野孝雄氏)



本別町立押帯小学校 校歌
(絵:鎌田博文氏)

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