上野敏郎の
         上野敏郎の今週のコメント

第1305回普段着のとかちミーティング


開催日 令和2年10月28日(水)
話 題 とかち・消えた学び舎の風景[169]
     −本別町立美蘭別小学校−
      (1912〜1982)

 ≪あゆみ≫
■明治45年 6月13日、勇足字(※資料には他にない「字」がある)尋常小学校美蘭別特別分教場として開校。
■大正15年 4月21日、美蘭別尋常小学校に昇格。
■昭和08年 5月1日、町制施行。
■昭和16年 4月1日、美蘭別国民学校と改称。
■昭和22年 4月1日、本別町立美蘭別小学校と改称。(学制改革)
■昭和57年 3月31日、閉校。4月1日、勇足小学校へ統合。

 この地は、明治31年、奥田陸蔵氏と梅本吉五郎氏の両名の入地から始まる。両氏は、悠揚たる十勝川の支流である利別川の奥深い美蘭別地区の丘陵山地で牧場経営を目指したが、その足跡をたどる記録は見当たらない。
 よって、明治44年、富山県人前田定次郎氏が十勝平野に理想郷を求めてこの地に入植したことが実質的な草分けとする説もある。
 明治45年に特別教授場の開設となるが、当初の校舎は掘立小屋であった。しかし、開設してからが大変だった。2年間は教員が見つからず、前田氏、間氏の2人が交代で代用教員を務めている。開墾作業の傍らで無報酬の臨時教員を務めたのだった。在籍児童は10人から始まったが翌年には22人に増えた。
 校章、校歌の記録はあるが制定日は不明。ここで特筆しておきたいことは、「本別町歌」の作詞を手掛けた昭和歌謡界の大作詞家吉川静夫氏が、昭和7年4月から12年の8月まで美蘭別尋常小学校の第三代校長を務めていること、これは忘れたくない。

(文責:上野敏郎)
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本別町立美蘭別小学校 校舎
(画:菅野孝雄氏)



本別町立美蘭別小学校 校歌
(絵&文字:鎌田博文氏)

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