上野敏郎の
         上野敏郎の今週のコメント

第1306回普段着のとかちミーティング


開催日 令和2年10月30日(金)
話 題 とかち・消えた学び舎の風景[170]
     −本別町立上美蘭別小学校−
      (1930〜1983)

 ≪あゆみ≫
■昭和05年 11月5日、美蘭別尋常小学校所属上美蘭特別教授所として認可を受け開校。
■昭和08年 5月1日、町制施行。
■昭和12年 4月1日、本別町立上美蘭別尋常小学校に昇格。
■昭和16年 4月1日、本別町立上美蘭別国民学校と改称。(国民学校令)
■昭和22年 4月1日、本別町立上美蘭別小学校と改称。(学制改革)
■昭和55年 11月2日、開校50周年記念式典挙行。校歌・校章制定?
■昭和58年 3月31日、閉校。4月1日、勇足小学校へ統合。

 この地域を知る資料は少ない。明治45年、福田繁太郎氏、横山加造吉氏らがこの地に単独移住している。特定できないが徳島県、岩手県からの入植と推測する。主たる生業は炭焼きや製材業。
 昭和4年、美蘭別地区が上区と下区に分立する話がまとまり、漸く上区の開拓が進むようになり、学齢期の児童も50人を越す。当然、地域内に学校を作ろうとする機運が高まる。それまでこの地域の子どもたちは二里半も離れた美蘭別校に通っていた。
 昭和5年の特別教授所開設資料には熊本留之助氏、福田友太郎氏らの名前がある。校歌、校章の記録もあるが制定日は不明。但し、校歌の作詞は第11代校長の井川巌先生であることから先生の在任中に挙行された開校50周年記念式典の日が制定日ではないかと推測できる。校章もその日と思われる。根拠は、『校章の由来を校歌にちなんで「功あり」「誇りあり」「希望あり」を表す』としているからである。
 特記したいことがある。昭和歌謡の巨匠吉川静夫氏が美蘭別小学校に昭和5年12月から6年4月までだが一教員として在職していた事だ。これは永久保存だ。

(文責:上野敏郎)
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本別町立上美蘭別小学校 校舎
(画:菅野孝雄氏)



本別町立上美蘭別小学校 校歌
(絵&文字:鎌田博文氏)

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  上野敏郎へのメールの宛先はt-ueno@octv.ne.jpです。