上野敏郎の
         上野敏郎の今週のコメント

第1307回普段着のとかちミーティング


開催日 令和2年11月4日(水)
話 題 とかち・消えた学び舎の風景[171]
     −本別町立上押帯小学校−
      (1919〜1984)

 ≪あゆみ≫
■大正08年 4月1日、勇足尋常小学校所属上押帯特別教授場として認可を受け開校。
■大正15年 4月1日、美蘭別尋常小学校所属上押帯教授場に変更。
■昭和02年 3月28日、上押帯尋常小学校に昇格。
■昭和08年 5月1日、町制施行。
■昭和16年 4月1日、本別町立上押帯国民学校に改称。
■昭和22年 4月1日、本別町立上押帯小学校と改称。
■昭和40年 12月21日、校歌制定。
■昭和58年 3月31日、閉校。4月1日、勇足小学校へ統合。

 上押帯(かみおしょっぷ)の開拓は大正3年頃から始まる。区域は17号以南以内を特定地、17号以北を売却地として信州団体の人々が主に入植している。それとは別に、北4線の15号、16号附近は石狩団体の人々が開拓にあたっている。
 ある資料にはこんな記載がある。「当時、この地域は萩原とハンの木の密林で、その原始林の中にぽつんと開拓農家があり、隣家一軒として見えずまったく淋しい生活であった。この原始林の中で苛酷な自然とたたかいながら地域の先人たちは開拓の鍬をふるい原始林を開いてきた。」と。
 大正8年4月1日、地域住民待望の教授場が開校するが、その校舎は橋原氏の自宅の一部を教室とするものであった。在校生は男8人、女9人の17人。同月の27日には学校用地4,500坪に20坪の校舎が完成している。ほとんどの資金は地域住民の寄附だった。
 校章の記録はあるが制定日は不明。

(文責:上野敏郎)
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本別町立上押帯小学校 校舎
(画:菅野孝雄氏)



本別町立上押帯小学校 校歌
(絵&文字:鎌田博文氏)

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