上野敏郎の
         上野敏郎の今週のコメント

第1309回普段着のとかちミーティング


開催日 令和2年11月9日(月)
話 題 とかち・消えた学び舎の風景[173]
     −足寄町立上大誉地小学校−
      (1917〜1964)

 ≪あゆみ≫
■大正06年 7月1日、大誉地尋常小学校所属上大誉地特別教授場として開校。
■昭和12年 2月1日、大誉地尋常小学校に昇格。
■昭和16年 4月1日、大誉地国民学校と改称。(国民学校令)
■昭和22年 4月1日、西足寄村立大誉地小学校と改称。(6・3・3制)
■昭和30年 4月1日、足寄郡足寄町立上大誉地小学校と改称。(町村合併)
■昭和39年 3月31日、閉校。4月1日、大誉地小学校へ統合。

 上大誉地(かみおよち)地区は、北大誉地と共栄の二つの部落が合併した広地域である。そもそも大誉地(およち)の原音は、アイヌ語のオ・イ・ナオで 蛇(へビ)の多いところの意。このヘビもマムシを指すらしい。
 さて、明治33年、北海道庁の測量班がこの地域に入り区画調査をした。その仕事中にマムシには随分悩まされたようだ。
 大正6年、この地区に佐賀県人、京都府人、静岡県人などの団体入地が始まる。驚くことに、その年の7月には民家の笹小屋を借りて特別教授場を開校し授業を開始している。生徒は16人。このスピード感は凄い!
 特筆したいのは、上大誉地小学校は二人の現職校長先生を失っていることだ。第5代の宮地松太郎校長は、昭和8年3月21日、公務で役場に出かけその帰り道に吹雪で道に迷い亡くなっている。もう一人は第8代校長の安達先生だが、掲載の新聞記事を読んでいただきたい。このようなことは、他にあまり例のないことだと思うのである。校章、校歌の記録は不明。

(文責:上野敏郎)
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足寄町立上大誉地小学校 校舎
(画:菅野孝雄氏)



昭和33年8月24日 新聞記事 
(出版:十勝毎日新聞)

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