上野敏郎の
         上野敏郎の今週のコメント

第1310回普段着のとかちミーティング


開催日 令和2年11月11日(水)
話 題 とかち・消えた学び舎の風景[174]
     −足寄町立富士見小学校−
      (1956〜1964)

 ≪あゆみ≫
■昭和31年 4月1日、足寄町立富士見小学校として開校。
■昭和40年 3月31日、閉校。4月1日、上螺湾小学校へ統合。

 足寄町の螺湾からオンネトーに行く途中に上螺湾地区がある。富士見地区はその奥だ。この地域の開拓は、一説には農家の次男、三男向けの戦後対策の意味合いもあったと言われている。
 いずれにしても、富士見地域への入植者は増え昭和31年、児童数15人で小学校は開校するのである。しかし、その後様々な理由から離農者が急激に増えたことから同40年、学校は閉校せざるを得なかった。
 この学び舎の歴史は短いが、阿寒富士を望む絶景の地にちなんで命名した「富士見」の校名は永遠に残る。校長先生は二代までであった。閉校時の児童数は、卒業生2人、在校生9人。校章、校歌の記録は不明。

(文責:上野敏郎)
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足寄町立富士見小学校 校舎
(画:菅野孝雄氏)



昭和30年6月20日 新聞記事 
(出版:十勝毎日新聞)

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