上野敏郎の
         上野敏郎の今週のコメント

第1314回普段着のとかちミーティング


開催日 令和2年11月20日(金)
話 題 とかち・消えた学び舎の風景[178]
     −足寄町立鳥取小学校−
      (1915〜1968)

 ≪あゆみ≫
■大正04年 5月20日、上足寄尋常小学校所属鳥取特別教授場として開校。
■大正05年 4月29日、螺湾尋常小学校附属に変更。
      11月10日、上足寄尋常小学校附属に再度変更。
■昭和06年 4月30日、上足寄第二尋常小学校に改称。(昇格)
■昭和22年 4月1日、足寄村立上足寄第二小学校と改称。(学制改革)
■昭和30年 9月1日、足寄町立鳥取小学校と改称。(町制施行)
■昭和41年 4月1日、上足寄小学校鳥取分校に変更。(降格)
■昭和43年 3月31日、閉校。4月1日、上足寄小学校へ統合。

 「鳥取」の地名は、明治43年に鳥取県人の団体が入植したことからそのまま部落名にしたもの。
 子弟教育を求める活動は大正元年にその記録は見ることができる。地域住民は村に対して教育施設の設置を請願するが、村会は認めなかった。その理由は定かでないが、それを受けて鳥取県人下村儀郎氏は自らの自宅を開放して児童を集め自身が指導を始めた。鳥取地区の教育事始めは一人の気骨のある人物の行動から始まったらしい。大正3年には指導を菅野鉄之助氏に依頼している。
 しかし、その報酬はお金ではなく食料であった。大正4年3月26日、部落は六人の発起人をたて村に対し学校建設のお願いをする。今度は村会も満場一致でそれを認めた。大正4年5月20日、念願の≪足寄簡易教育所≫所属鳥取特別教授場が開校したのであった。この校名であるが、《あゆみ》の中の記載とは少し違っているが、発行日の違う「足寄町史」を参考にそのまま転記した。どれが正しいかは識者の判断を待つしかない。
 校章、校歌に記録はあるが、制定日は不明。

(文責:上野敏郎)
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足寄町立鳥取小学校 校舎
(画:菅野孝雄氏)



足寄町立鳥取小学校 校歌
(文字&絵:鎌田博文氏)

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