上野敏郎の
         上野敏郎の今週のコメント

第1316回普段着のとかちミーティング


開催日 令和2年11月25日(水)
話 題 とかち・消えた学び舎の風景[180]
     −足寄町立愛冠小学校−
      (1907〜1969)

 ≪あゆみ≫
■明治40年 12月4日、足寄簡易教育所所属愛冠特別教習所として開校。
■大正05年 11月4日、愛冠尋常小学校と改称(昇格)。
■昭和16年 4月1日、愛冠国民学校と改称(国民学校令)。
■昭和22年 4月1日、足寄村立愛冠小学校と改称(学制改革)。
■昭和30年 4月1日、足寄町立愛冠小学校と改称(町制施行)。
■昭和44年 3月31日、閉校。4月1日、東小学校へ統合。

 愛冠(あいかっぷ)の原音は、「アイ・カプ・ピラ」、アイヌ語で「矢が届かなかった崖」の意味だそうだ。この地名は、トマム原野で牧場を経営していた関又一氏が新冠郡の新冠(にいかっぷ)にちなんで訳称したと言われている。
 明治40年3月、住民要望を受け有志が奔走して7月に校舎を完成させるが教員の配置ができず予定通りの開校は出来なかった。しかし、12月には代用教員が発令になりようやく愛冠地区の子弟教育は始まった。児童数は25人、通学区域は愛冠、下愛冠、鷲府(わしっぷ)であった。
 また、創立当時の教科書は読み方、算術、修身、習字帳の4冊。大正時代に入ると児童数も増え、校舎も新しい土地に移動して建設、その校舎で特別教授所から尋常小学校へ昇格。教員も1人から2人に増えた。
 昭和34年には、創立50周年記念式典を開催しているが、児童の減少を理由に昭和44年3月閉校となる。その時の児童数は24人。校章、校歌の記録は不明。

(文責:上野敏郎)
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足寄町立愛冠小学校 校舎
(画:菅野孝雄氏)



足寄町の木 『アカエゾマツ』
(画:菅野孝雄氏)

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