開催日 令和2年12月2日(水)
話 題 とかち・消えた学び舎の風景[183]
−足寄町立長野小学校− (1922〜1970) |
≪あゆみ≫ ■大正11年 5月15日、螺湾尋常小学校所属長野特別教授場として開校。 ■大正13年 3月25日、中足寄尋常小学校所属に変更。 ■昭和10年 3月18日、長野尋常小学校に昇格。 ■昭和16年 4月1日、長野国民学校と改称。(国民学校令) ■昭和22年 4月1日、足寄村立長野小学校と改称。(学制改革) ■昭和30年 4月1日、足寄町立長野小学校と改称。(町村合併) ■昭和45年 3月31日、閉校。4月1日、螺湾小学校へ統合。
「長野」の地名は、この地域の入植者に長野県人が多かったことによる。 最初の入植者は大正元年11月の新津名氏。12月には百町歩の特定地貸付の許可を得ている。その後、続々と長野県北佐久郡平根村出身者を中心に入植があり開拓は進む。
大正11年に開校した特別教授場はあくまでも仮校舎であり新津名氏が所有する倉庫であった。同年12月には部落民の寄附と拓殖関係費の補助を受け校舎が完成している。児童数は20人。
校史には、昭和14年1月7日に大吹雪で校舎が大破したこと、昭和39年9月19日には熊の出没が激しく臨時休校したとする記録がある。子どもたちの教育がいかに厳しい自然環境の中にあったかを知ることができる事例だ。
校歌の作詞、作曲は下村粛郎氏で第5代の校長先生だが制定日は特定できないが、在任期間は昭和12年3月31日〜昭和24年3月31日まで。校章の記録は不明。
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(文責:上野敏郎) |
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足寄町立長野小学校 校舎 (画:菅野孝雄氏)
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足寄町立長野小学校 校歌 (文字&画:鎌田博文氏)
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